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『麦ふみクーツェ』いしいしんじ著 へんてこな全ての人への人生賛歌

現代の宮沢賢治とも評されるいしいしんじさん。童話のような独特の文体と世界観。

ブログやツイッターで見るいしいさんの日常生活も、自然体なのに、物語のようなきらめきや感覚に溢れていて素敵。そんな彼の作品はどれも好きですが、私の中に一番何か大事なものを置いてくれた気がする作品がこの『麦ふみクーツェ』。

10年以上前に読んだ作品を、最近また読みたくなって読み返してみました。

《作品データ》

  • 作者:いしいしんじ
  • 発表年:2002年
  • 受賞:坪田譲治文学賞受賞(2003年)

《あらすじ》

〈ぼく〉だけに聞こえる、とん、たたん、とん、という不思議なリズム。それは、麦わら帽子をかぶって黄色い土地で麦をふむクーツェの足音。

とびぬけて大きな体をもつ〈ぼく〉。得意なのはねこの鳴き声。ティンパ二の名手である祖父が率いる街の楽団で、ねこの鳴き声を演奏し、打楽器奏者となる。このねこのなき声が、楽しいことも、とんでもない事も引き寄せる。

やがて指揮者を目指すようになった〈ぼく〉は、たくさんの人と出会い、色々な出来事に遭遇する。悲しみや幸せ、何かを感じるとき、いつもそこに聞こえるのはクーツェの足音だった。

《ドラマチック感想》

まるで、物語全体が音楽のような作品です。

始まりは未知の世界、〈ぼく〉の語りで、ゆっくり音楽が始まります。その調べはどこか悲しみに満ちていて、向かう先は暗くて見えません。だけど、繰り返される、「とん、たたん、とん」のリズムと共に徐々に展開していく物語。

まず描かれるのは祖父のティンパ二と、数学者の父が解いている証明。そしてへんてこな自分の大きな体と完璧なねこの鳴き声。

楽団の楽しい音楽と、未来への期待により、物語の曲調は明るくなります。しかし、徐々に暗雲がたちこめて…。

街に降ったねずみの雨、たちこめた臭気にやみねずみ。ねこの声。そして、用務員さんの最後のマーチ。全ては一つの潮流で起こっていること。

嵐を経験し、「めざす場所は遠すぎて見えないものの、進むべき方向」が見えはじめた〈ぼく〉。おじいちゃんとお父さんのいる街を離れ、指揮者への道を目指して音楽学校に入ります。

学校に馴染めず、無心で新聞の記事をスクラップする〈ぼく〉は、ある考えに行き着きます。「独立した特殊な事件など、この世にはなにも起きていないように思える。すべてのことが、どこか遠い何かと関連をもっている」と。

人の繋がりも同じなのかも。

彼が出会うべくして出会った人々と、その不思議な人生。ちょうちょのおじさんのボクシング。先生の弾くチェロの音。娼婦たちの話。みどり色が出す犬の声。

彼らの人生や、世の中の全てのエピソードが〈ぼく〉の人生の流れの一つとなっていました。同じように、〈ぼく〉の存在もまた、誰かの人生に繋がっています。例えば、この作品を読んで心を打たれた私みたいな読者にも。「大きい小さいは距離の問題」。

繋がった人々と一緒に鳴らす音、経験をとおして、〈ぼく〉は「ほんとうにききたい相手にむけ、まじめにならす音楽は、けっしておまけになんかならない」と感じるようになります。

それは、音楽と楽団に真剣に向き合っているおじいちゃんの方針だった「音楽におまけはない」とは、違う考え方。それぞれの本当の音楽の形。

幸せとその傍にある悲しみに触れながら、自分で音を鳴らして踏みしめた大地に見える風景を〈ぼく〉は進みだします。

そして、進むことで動き出した大きな潮流の先で、自分のルーツと、ずっと聞こえてきたクーツェの音の答えに出会えた〈ぼく〉。

物語の最後。聞こえてくるのは、とん、たたん、とん、と、〈ぼく〉自身が紡ぐ麦ふみの音でした。

読み終わって、やっぱり感動です。10年前に読んだ時よりも、歳を重ねただけの実感も伴って。

人生は繋がっているんだな。つらいことも幸せなことも、全て五線譜に並んだ楽曲のように。

いしいさんの小説は、可愛らしい絵本の世界のような純粋さの一方で、避けられない悲しみが根底に描かれています。現実も同じ。悲しみも含めての人生賛歌。

音楽みたいな小説。ファンタジーのようなへんてこな世界。だけど全ての人に繋がっている普遍的なことを、独特の表現で描き切っているいしいさん。そんな彼はやっぱり、この作品の登場人物たちのように、へんてこさに誇りを持って生きている素敵な人物なんだと思います。

幸せや悲しみを感じたことのある全ての人に読んでみてほしい作品です。